だいだらぼっち

惚気ときどき猫のちゲーム

ふんがい

DPに対する意識系の話。

かなりムッときたんです。
自分自身にも言い聞かせるって意味で書き留めておきます。

とある友人が、九段なんて取るんじゃなかったって言ってて。

私は毎日必死こいて練習して、やっと九段取れた人間だから、
「九段なんてまぐれで取れた」
なんかそう言われてピキッときちゃったわけです…。私は血の気が多いもので…。

地力は、上げようって思って練習するから上がるわけで。
運指だって、直そうって思って練習するからできるようになるわけで。

少なくとも、私は何度も投げ出したくなりつつもそれなりに練習して、
最近やっと同列階段も、人差し指と薬指で白鍵を押すのも、人並みに押せるようになったんですけどね。
まだちょっと矯正する部分はあるので運指練習は継続してますが。

そりゃ先天的なものも多少はあるかもしれないけど、
できないものをできるようになるためにはそれなりに努力(という言葉は私は好きじゃないんだけど)しないとダメじゃないかなって思うわけです。
もちろんできないものをやるより、できるものをやったほうが楽しいに決まってます。
でも、できないものからいつまでも逃げていたところで結局当たる壁があるのは分かっているのだし、
周りの人からもアドバイスだってもらえてたんだし、
どこかで腹をくくって練習するしかないんですよ。
確かにできるようになるまでは時間もかかるし、運指も変になっちゃうから今までできていたものもできなくなって、無茶苦茶下手になるし最悪だーって思います。
でもできないことはないんです。やればできるようになるんです。
私は何度もこれを経験してるんです。
1つ解決したら1つ先に進めるようになるんです。

”アドバイスもらえてた”
って過去形なのは、そのアドバイスにも聞く耳を持ってくれなかったから。
私は当時段位は八段だったし、追う側でしたから、
あまり偉そうな事は言う気なかったし立場はわきまえてるつもりだったんですけどね。
段位が下でも、それなりにできないことをできるようにしてきた実績はあるんで、
こうしたらいいんじゃないかなって何度も言ったのに全く聞いてもらえなかったんですよね。
私の師匠も最初のうちは私と彼を競わせてた感はあったけど、
師匠も何も言わなくなったのは、私と同じ結論に至ったのかなって思ってます。

できるはずの事もやらずに「できない」「センスがない」ってそれはただできないことをやらなくて良くしたい自分自身への言い訳でしかないんですよ。

放置効果とか、良く音ゲーで言うけど、
そんなものは本当はないと思うんですよね。
元々できる地力があって、たまたま呪われるとか、クセがついたとか、そういうのでできなくて、
放置してそれらが和らいでできるようになるだけであって。
元々できる地力がないのに放置したら、益々下手になるだけだって、少し考えれば分かるのでは????

成長の仕方は、確かに多少才能というか、あるかもしれない。
けど、ろくすっぽ練習する前から「センスない」って言ってるようじゃ、いつまでたっても先には進めないって、私は思いますけどね。


最後に。
ここまで私が上達したのは、私自身の努力なんじゃなく、
周りの友人やライバル、師匠のお陰だって思ってます。きれいごとではなくて。

周りが応援してくれて、期待してくれて、褒めてくれるから私は今でも頑張っていられるんです。
他人の期待を裏切りたくないって気持ちが異常に強いんでw

一番は、大好きな人が常に傍で応援してくれるからなんですけどね!!なんて!!